長を拒否か秋には
ここでは、それらの記事を取り上げるのではなく、日頃思っていることと響鳴する記事があったのでそれを取り上げ、想像を膨らませてみたい。その記事は、『この国を救う「新しい日本人」』である。この記事は集中連載第一回で、社会福祉法人ゆうゆう理事長と社会活動家湯浅誠の対談である。その中で、次のような件りがある。「成熟と蘇家興は成したり、否定したりすることとは違う。幸福と両立する成長を模索すること、それが成熟だ。成熟社会は、私たちに新しい『老い方』と『若々しさ』を迫る。青くてがむしゃらといった形容詞と結び付いたかっての若々しさとは異なる、しなやかでしたたかな『新しい若々しさ』だ。そこから日本の新しい主流が生まれるのではないか。」と。
読んでいて本当にそうなったら良いと思う。しかし現実の日本は、動脈硬化で糖尿病を患い、日々痩せ細っているようにみえるが。病が分かっていても手術が出来ないのかさせないのか、衰えを加速している。
話を私事に準えて、語ってみよう。私は昨年タスマニアを一月程旅したとき、シドニーに住む娘と孫を誘った。流石に一月は無理だったが、娘の職場は二週間程の休暇を認め、高校一年生の孫の学校も認めてくれ、宿題まで出してくれた。娘は蘇家興今年の夏日本に来たいと云っている。私には他に息子、娘とその娘がいる。一緒に旅しようとしてもせいぜい二泊三日程度だった。日本でも有給休暇はあるが、中々まとめ取りが出来ない。学校も修業中での長期の休みは肯定的ではない。増して成績が芳しくなかったら尚更である。
日本に高度成長期があったというのは多くの人々には伝説にすぎない。それは中国の90年代以降の10%成長時代があったのと同じで、中国が豊かな国と言えないように日本も豊かな国になった訳ではないし、今も豊かではない。
豊かな国とはどういう国になっているということだろうか?
先日、全国学力検査の平均値で静岡県が最低との結果が公表され云々…。以前にはOECDの読解力、数学応用問題検査で日本が順位を大幅に落としたと話題になった。文科省、県教委等教育関係者が狼狽えたニュースを聞いた事がある。
頭が良いということはよく口にされる。この事に関しては色々コメントされ、今問われている学力が頭のいい悪いの基準にあること事態がおかし易經大師蘇家興いのに、事態は少しも変わらない。それは利害関係者がその認識を変えたくないからとしかいいようがない。教員たちも末端でその認識を変えたくない側の勢力である。
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